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青山クラブ~呉音楽隊~入船山記念館を歩く。

2010.11.16 *Tue
ウサ研のメンバーは11月の秋晴れの中、2回目の社会見学をしてきました。
今回は。。。

青山クラブ 集合→呉音楽隊→入船山記念館-----市営バス----
---音戸渡船→戸田本店(昼食)→音戸の町並みを歩く---市営バス--帰路。。。

というコースです。

まずは集合場所だった「青山クラブ」
aoyama_club.jpg
赤茶色のモダンな建物。。。JR呉線の通称眼鏡橋の近くにあります。
ここはいったいなんなんだろう?ずいぶん前から気になっておりました。
この場所を明治38年に旧呉海軍下士官兵集会所として利用されはじめ、
昭和10年にあらためて建てられた建物が現在のものです。
当時の海軍に携わる仕事をしていた人たちの憩いの場であったとのこと。

呉音楽隊 音楽堂(桜松館)
ongakutai.jpg
青山クラブの中をどんどん案内していただきます。
一番奥まで行くとあるのが「呉音楽隊」のための音楽堂(桜松館)があります。
ここでは当時いろんなイベントやライブが開催されていたとのこと。
今は呉音楽隊の練習する場所として利用されているようです。
呉音楽隊とは音楽演奏を主な任務とする海上自衛隊の部隊です。
海上自衛隊の広報活動やいろんな自衛隊の儀式に参加して演奏されます。

音楽堂の一角に「河合太郎さん」に関する資料が展示されていました。
河合太郎さんとは
日露戦争時の連合艦隊旗艦「三笠」の乗組員で、呉海軍軍楽隊長を務め、
第2次大戦後は呉市や中国地方の音楽文化振興に力を注いだ方です。
司馬遼太郎の坂の上の雲にも登場されます。
河合氏は明治17(1884)年生れ、
明治34年に横須賀海兵団に入り軍楽隊員として勤務(楽器はコルネット)。
「三笠」の乗組員として日本海海戦に参加し、
戦闘中は前部主砲の伝令を務められています。
「皇國ノ興廃此ノ一戦ニ在リ 各員一層奮励努力セヨ」
東郷平八郎連合艦隊司令長官の座乗する旗艦三笠がZ旗をマストにかかげ、
全艦隊の士気の高揚を図った出来事が有名です。
そのときの意味がこの言葉であり、作者は秋山真之、
そしてその信号を送ったのが河合太郎さんだったとのこと。
資料を見せていただきながらつながってここでこうしてまた知ることができた!
私はひそかに感動を覚えたのでした....。

そんな興奮を胸にかかえたまま次は呉市入船山記念館へ。。。
「旧呉鎮守府司令長官官舎」
irifuneyama1.jpg
まず、「鎮守府」って何?から説明します。
鎮守府とはかつて日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関のこと。
呉だけでなく、横須賀、佐世保、舞鶴にもありました。
明治19年に第2海軍区鎮守府を呉浦に決定され
明治22年に呉鎮守府が開庁されます。
それからの宮原村呉町は一変します。
当時入船山まで海だった場所は埋め立てられ、海軍の拠点となりました。
神社やお寺も移築することになり、それは大変だったようです。
和洋折衷、客室と食堂は洋館部、
司令長官とその家族の住居だったところは和館部となっています。
洋館部の壁は贅沢な「金唐紙」を使用。
金唐紙とは...和紙に桜の木に模様を施したものをあて、
      模様を浮き上がらせた技法でできた紙
irifuneyama2.jpg

irifuneyama3.jpg
外国の美しいものもうまく取り入れる日本人のセンス。
日本家屋の美をじっくり味わえる建築物だとしみじみ思いました。

このあと、市バスに乗り、音戸渡船で倉橋島音戸へ渡ります




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